update 1998.5.20

「わたしの子供になりなさい」
追加の感想


追加です。
野放しで書くと、ですます調だったり
である調だったりと好き勝手してます。
最終的には、散文調になるんですよ(笑)


「清流」
なんかアジアっぽいなぁ。と莫迦なことを考えながら聴いていました。
良く考えたら香港の歌手フェイ・ウォンへの提供曲だから、
当然の話なんですね。
初めは、ただ恋の歌と思って聴いていたけど、なんか変?
フェイ・ウォンへの提供曲ということを思い出して聴いてみた。
”男と女”と歌いながらも、話は従わさせようとする者(国とか)と
従わさせられる者(人民とか)の形を持っている。
大きな力に対しての意志を歌っている。
「EAST ASIA」と共通している。そんなことを感じさせられました。
「EAST ASIA」と同じく曲の雰囲気はすごく清々しい。

「私たちは春の中で」
相変わらず意味が良くくみ取れてない(笑)
でもなんか少しずつ好きになってる。
”春”といっても「熱病」のような若さを持つ歌ではない。
”春”という名のエリアの中から、大切な何かを見つめている。
遠い目で見つめている。そんな情景。
    
「木曜の夜」
聞き始め程ではないけれど、やっぱり好きな曲。
元気に口ずさんでします。
きっと主人公が一度会った人に会おうとする歌なんだと思うけど、
ふと。もしかして主人公は会ったこともない人を待ってるのでは、
と考えてしまう。    
    
「紅灯の海」

【紅灯】
1.赤いともしび
2.繁華街のはなやかなともしび。
3.航海中の船が点灯を義務づけられている赤色灯。
4.酸漿提灯(ほおずきちょうちん)の異名。
赤色の紙を張った丸く小さな提灯。商店街の飾り付けなどに用いる。
−のちまた「紅灯の巷」 花柳界。色町。

<大辞林 第二版 より>


意味としては、こんなところ。
「紅灯の海」と言われたとき、私はなんかイカ釣り漁船の灯りを
思い浮かべてしまった。(あれは、きっと白い灯りの気がする)
みゆきさんの故郷のひとつ、岩内の風景とダブらせてたんでしょう。

で、辞書で調べてみた。歌詞にも”足は千鳥となり果てて”
と、出てくるように酔っぱらって飲屋街をふらついてる情景の方がきっと近い。
(”足は千鳥となり果てて”ってすごく良い表現だと思う)

でも、酔い以上の優しさに満ちあふれているこの曲には、
飲屋街というよりも「白鳥の歌が聴こえる」のような世界が合う気がする。
「紅灯の巷」。    
「白鳥の歌が聴こえる」が女の側からの曲なら、
この曲は男の側からの曲ではないだろうか。

どこまでも見返り無く優しい想いでのあふれる海。
今では、このアルバムの中で一番好きな曲です。
            

    

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